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風呂敷いろいろ 京都 掛札

風呂敷について
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風呂敷は日本独自の物?

 風呂敷と言えば日本だけの物のように思われるかもしれませんが、実はそうでもありません。用途や使われる意味合いの違いはあるにしろ、暮らしの道具のひとつとして風呂敷に似た方形の布を使う文化風俗は、案外世界のあちこちに見られるのです。日本の「風呂敷」に最も近いもので言えば、お隣の国、韓国の「ポジャギ」と呼ばれる包み布。儀式的な意味合いが強いとはいえ、日本の風呂敷と同じく目的や用途によって色々な素材やサイズで作られています。

 世界各地の文化の違いは、もちろん人間の作った宗教や制度によるものも大きいですが、何と言ってもそれ以前に気候風土、生活環境の違いがあります。いろいろな民族を生活基盤の違いで大きく大きく分けると、狩猟民族と農耕民族に分けられます。
 狩猟民族は狩りをして食料を得ると同時に、その副産物として動物の毛皮が手に入ります。動物の皮は大きさや形が一定していませんので、 これを材料として物を作るには目的に合わせて毛皮を裁断して縫い合わせて作ることになります。そういう生活からは、ごく自然な流れで衣服も鞄も立体的な品物を作る文化が生まれてきました。
 一方の農耕民族には、その生活形態から毛皮の代わりに農作物の繊維から布を作るという習慣が生まれました。布を作るには、まず材料となる作物を育てる時間を必要としますし、収穫した材料から糸を紡いで、さらにその糸を織って布にするのです。材料の調達には定住生活が基本となりますし、布を織るためにはかなりの時間も手間もかかります。狩猟民族は移動を繰り返して生活していた上に毛皮が手に入るのですから、わざわざに布を織る必要がなかったとも言えます。
 こうして、せっかく苦労して織り上げた布も、いったん切って袋に縫ってしまうと、それはもう袋としてしか使えなくなるのでもったいない。そのままの形で使うと、応用しだいで物を包んだり何かに掛けたり敷物にしたりできる。いま流行り(笑)の「もったいない」の精神から、一枚の布を臨機応変に使うという発想が生まれたのです。まさに風呂敷の使い方ですね。農耕民族が立体よりも平面の文化を発達させたのは、こういった理由から来たのかも知れません。

 少なくとも日本の文化を見ているかぎり、この平面文化の傾向というのはよく分かります。着物も帯も、たたんであるときにはペッタンコなのですが、着物の着方や帯の締め方で立体的なかたちを作り出しますし、「洗い張り」(着物のクリーニング)をするときなど、ほとんどの場合はほぼ一本の反物の状態にまで戻ってしまうようにできているのです。風呂敷にしても、包み方や結び方でいろいろな立体を成すという使い方は着物と同じ発想ですし、 一枚の布で大きい物も小さい物も包んでしまう。で、これまたたたむと元通りペッタンコです。それがまさか「もともと農耕民族である」なんて古いルーツから来ていたとは…。
 こうして考えてみると、物を作ることの大変さが、物を工夫して大切に使うということにつながっていたのですね。生産技術の進歩にともなって、大量生産・使い捨ての生活に慣れてしまった現代人は、その便利さを手に入れた代償として、何かを見失ってしまっているような気がしてなりません。
…なーんて、ちょっと説教クサくなってしまいましたね。(^ヮ^;)ゞ

しかし、これほど多く色々な包み方をして使いこなしているのは日本人ぐらいのようにも思いますし、うちの店に来て下さる外人さんのお客さんに風呂敷を結んで袋にしてお見せすると、みなさまほとんど「オーゥ!マジック!!」なんて驚いて頂けますし、世界的にも「風呂敷(みたいな布)といえば日本。」と言っても言い過ぎじゃないと思いますよ。(´ー`)