早い話が「チェック」です。
格子の模様自体は、数色の先染めの糸で生地を織るだけでも表現できるため、縞の模様とともに 古くから使われた織物の基本中の基本とも言える模様です。縦横に細長い木を組んだ建具の格子の姿を、そのまま生地の模様の名前に当てはめて呼ばれるようになったのでしょう。今では「チェック」と言ったほうが伝わりやすいかも知れませんね。(´ー`)
ひとつひとつ図解でご説明する余裕がなくて残念ですが、縦横の線の本数によって「二筋格子(ふたすじごうし)」「三筋格子(みすじごうし)」「四筋格子(よすじごうし)」と呼び分けたり、碁盤の目のように正方形のならんだ「碁盤格子(ごばんごうし)」、障子の桟に似た「障子格子(しょうじごうし)」、かなり細かい格子の文様は「微塵格子(みじんごうし)」と呼んだり、太い線の格子に細い線が添うようにして交わる「子持格子(こもちごうし)」、その細い線の数が多くなってたくさんの孫がいると見立てた「翁格子(おきなごうし)」など、織物・染物に関わらずさまざまな格子柄のバリエーションがありました。線の太い格子は威勢の良さ、細かい格子は上品さや粋さを表したとも言われます。
能装束にも使われ、この他にも数多くの格子の文様が作られたとは言え、その多様化とその流行には「歌舞伎」の影響がかなり大きかったと考えられています。
贅沢禁止令下の、熱くて粋なオシャレ魂。
江戸時代、元禄年間(1688〜1704年)には現在の様式がほぼ完成していたと言われる歌舞伎。テレビも映画もインターネットも無い時代に、歌舞伎は江戸の庶民にとって最大の娯楽でした。そして同時に、実は歌舞伎がファッションの流行の発信源でもあったのです。
それもそのはず、歌舞伎役者といえばまさに当時の芸能人ですから、当然役者達は競ってその衣裳に色々な工夫を凝らしましたし、浮世絵の役者絵や芝居絵(お芝居の一場面を描いた絵)などは今で言う「ブロマイド」や「ポスター」みたいな物だったわけで、舞台の上や絵の中で彼らが身にまとうお洒落で粋なその衣装は、やっぱり常に「話題のファッション」になるわけです。
ちょうどその頃、農民や武士を差し置いてどんどん豪華になっていく町人を抑えようと、幕府によって贅沢禁止令(奢侈(しゃし)禁止令)が敷かれ、派手ハデな着物を着てはいけないという御触れが出ていたとは言え、そんなことで民衆の「お洒落魂」がおさまるわけがありません。 実はこの頃特に発展したのが縞文様や格子文様。御法度に触れないような一見渋くてシンプルなその中にも、常に「他の人(役者)とはひと味ちがう、粋なお洒落を」と追求するうちに 先ほど挙げたような多くの格子文様も生まれてきたのだと考えられています。
歌舞伎役者たちも、しまいにはライバルに負けじと次々に自分の「オリジナルの文様」も考案するほど。例えば縦横三筋ずつ、合計「六」本の線が交差する格子文様のなかに、「中」の漢字とひらがなの「ら」の字を入れて「なか・む・ら」と読ませる 中村勘三郎の「中村格子」など、縞や格子に「この文様=この役者」という文様がたくさん残っていることから想像するに、役者同士のお洒落の勝負もかなり白熱していたのでしょう。
そして、それぞれの役者の贔屓筋(ひいきすじ=ファン)、中でも特に花街の芸者たちが我先にと贔屓の役者の衣装を真似た文様の着物や浴衣、いろんな小物を身につけて流行の最先端を追いかけました。自分が応援している役者の宣伝も兼ねていたそうですから、これまたほんまに「粋」な話やなぁとも思いますが、セレブリティ(有名人)のファッションをみんなが追いかけるっていうのは今も昔も変わっていないようですね。(´з`)
さてさて、ウチのこの格子の文様は、伝統の格子文様の中の特に「何格子」というワケでもありませんが、この際勝手に「掛札格子」とでも名付けてみますか。(^∀^)