川の流れのように。
古くは弥生時代の銅鐸にも描かれた流水文様。水の流れを描いた蛇行する線は日本で特に好まれ、花、器物など多様なモチーフと組み合わされて数々の風情のある文様を作り出します。悠久の時を経てなお流れ続けてその姿をとどめている川の水は、無限の動きと時間の象徴し、その様子をあらわした流水文様は止まることのない未来永劫をあらわす吉祥文様なのです。
「水」そのものも浄め(きよめ)の意味をもち、災厄を除けたり穢れを洗い流すというところからも吉祥として捉えられています。
観世水という呼び名は、能楽の流派、観世家が定紋に使ったところからこの名があるのですが、それと言うのも、観世家の人々が水を汲んでいたと言われる井戸の水が、地下水の流れの影響でいつも渦を巻いていたことからこの紋様が作られたそうです。京都の西陣にある観世家屋敷跡には、当時のその井戸が今も残されています。
つねに変わり続けるということ。
小さなせせらぎから大河まで、ゆるやかに流れ、時には激しく姿を変える流水。刻一刻と移りゆくその姿は、しばしば人生や物事の無常さにも例えられました。
一方で、「流れる水は腐らず」とも言うように、常に新しく入れ替わりつつ、いつまでも清らかな姿をとどめている水の流れに、人々は人間の理想の姿を重ね合わせたのかもしれません。
長い歴史から見ればちっぽけなひとりの人間の一生のうちでも、常に変化し適応していくということは大切でしょうし、「伝統の◯◯」というような、一見まったく変わっていないかと思わせるような物事でさえ、おそらくはそれぞれの時代に合わせて少しずつかたちを変えてきたからこそ、今なお「伝統」として現代にまで伝わっているのでしょう。
大切なのは、
ずっと変わらずにあり続けるために、つねに変わり続ける、
きっとそういうことでしょうね。(´ー`)
う〜ん、ここまでくるとかなり哲学的ですねぇ。この流れ、思いのほか底が深いようで。